四季の自然に彩られる素晴らしい景色、そこに吹くその時々の風、地元の食材を生かした美味しい食べもの、迎えてくれるひとたちの笑顔、そしてサイクリストだけが感じられるだろうその道々の細かな表情…
それらに触れるたびに思うのは、自分たちはそれを与えられているだけでいいのだろうか、自分たちに大きなものを与えてくれる阿蘇に恩返しすることはないのだろうか…ということ…
ラピュタで会おう20120720で、多くのサイクリストの気持ちを阿蘇に集めることができてから、ずっとそれを考えていました。
ラピュタで会おう20120720で、多くのサイクリストの気持ちを阿蘇に集めることができてから、ずっとそれを考えていました。
2012年7月11日から14日かけて発生した平成24年7月九州北部豪雨(熊本広域大水害)によって、熊本県阿蘇地方は甚大な被害を受けました。
この災害で犠牲なられた方々のご冥福を心よりお祈りします。そして、依然行方不明となっている方々の安否が気づかわれます。また、被災された方々にお見舞い申し上げます。
この災害で、ラピュタの道こと、阿蘇谷と阿蘇北外輪山を結ぶ狩尾坂も大きな被害を受けました。
実際に現地に足を運んでおらず、伝わってくる情報を見聞きするしかなく、ここで伝えられることはいくらもないのですが、ラピュタの道の魅力をご自身のブログから発信続けている方のリポートからその被害の状況を窺い知ることができますので紹介させていただきたいと思います。
上の画像は熊本県道149号河陰阿蘇線から熊本県道339号北外輪山大津線(通称:ミルクロード)へ至る5.7kmの道の中でも最も被害が大きいと思われる箇所で、これ以外にも数カ所が寸断されており、現在のところ復旧の目処は立っていないようです。
ラピュタの道があるこの地区の別の2ヶ所で発生した土砂崩れでも、3名の方の尊い命が奪われています。
これは、2012年5月13日の同じ場所の様子です。7月12日の崩落で、この場所がどのような被害を受けたかお判りいただけるでしょうか。
これまでラピュタの道を訪ねるたびに、トラクターや軽トラックなどの農作業車両と数知れず行き合わせました。そのたびに、その進路の邪魔にならないように道を空け、時にはその通行を辛抱強く待つこともありました。それは、この道が彼ら地元の方々の生活を支えるためものであって、我々サイクリストはたまたま通してもらっているに過ぎないと思えばこそなのです。
3月の下旬には、阿蘇の春を告げる風物詩である野焼きがここでも行われます。わたしたちが目にする阿蘇の他で見られない素晴らしい景観は自然に生まれたものではありません。何百年もの間、人々が野焼きを行って人工的に作り、維持してきたものなのです。野焼きをやめると樹木が生い茂り、いま見られる草原はなくなってしまうといわれています。阿蘇の森林限界が低く見えるのは、地元の人々が大きな苦労をして…時に身の危険にも晒されながら…行う野焼きによって保たれているのです。
わたしたちが自転車でこの道を訪ねるときはいつも、行き交う農作業の方々に挨拶することをけっして忘れません。それは、この道を維持してくれていることへの労いと、感謝の気持ちに他なりません。
そんな場所が、いま大きな困難に見舞われています。
もちろんいまは、一日も早いを復旧を願うばかりです。
でも、そう願うしかないことに、とても歯痒く、やり切れない気持ちでいっぱいになります。
きれいごとやお決まりの言葉を並べ立てようという気持ちは、一切ありません。この災害が起こる前から考えていた「阿蘇に何か返せないのか?」ということも含め、「サイクリストとして阿蘇になにかできるか」という考えが深まるばかりです
この災害で犠牲なられた方々のご冥福を心よりお祈りします。そして、依然行方不明となっている方々の安否が気づかわれます。また、被災された方々にお見舞い申し上げます。
この災害で、ラピュタの道こと、阿蘇谷と阿蘇北外輪山を結ぶ狩尾坂も大きな被害を受けました。
実際に現地に足を運んでおらず、伝わってくる情報を見聞きするしかなく、ここで伝えられることはいくらもないのですが、ラピュタの道の魅力をご自身のブログから発信続けている方のリポートからその被害の状況を窺い知ることができますので紹介させていただきたいと思います。
ラピュタの道があるこの地区の別の2ヶ所で発生した土砂崩れでも、3名の方の尊い命が奪われています。
これは、2012年5月13日の同じ場所の様子です。7月12日の崩落で、この場所がどのような被害を受けたかお判りいただけるでしょうか。
地元ではラピュタは、「狩尾坂」「狩尾峠」「狩尾牧野道路」と呼ばれており牧草を運ぶ農道です。
人が通るだけだった道を、昭和40年代に「原野を管理する道路」として今の道幅に拡張され、草刈りや清掃など維持管理は狩尾地区の方々がされています。
ミルクロード一帯の牧草を、梅雨前から秋までの間に4回刈り取り、ロール状に巻いた1個200キロから400キロの牧草を運ぶ農耕車両が往来します。牧草は雨で濡れたものは使えず、乾いた状態で刈り取るため、今の時期晴れると日曜祭日連休に関係なく多くの農耕車両が頻繁に行き来します。
コルナゴ部長の言葉にある通り、この道は阿蘇谷の牧場に牧草を供給することを主な目的として整備されてきた道です。
これまでラピュタの道を訪ねるたびに、トラクターや軽トラックなどの農作業車両と数知れず行き合わせました。そのたびに、その進路の邪魔にならないように道を空け、時にはその通行を辛抱強く待つこともありました。それは、この道が彼ら地元の方々の生活を支えるためものであって、我々サイクリストはたまたま通してもらっているに過ぎないと思えばこそなのです。
3月の下旬には、阿蘇の春を告げる風物詩である野焼きがここでも行われます。わたしたちが目にする阿蘇の他で見られない素晴らしい景観は自然に生まれたものではありません。何百年もの間、人々が野焼きを行って人工的に作り、維持してきたものなのです。野焼きをやめると樹木が生い茂り、いま見られる草原はなくなってしまうといわれています。阿蘇の森林限界が低く見えるのは、地元の人々が大きな苦労をして…時に身の危険にも晒されながら…行う野焼きによって保たれているのです。
わたしたちが自転車でこの道を訪ねるときはいつも、行き交う農作業の方々に挨拶することをけっして忘れません。それは、この道を維持してくれていることへの労いと、感謝の気持ちに他なりません。
そんな場所が、いま大きな困難に見舞われています。
もちろんいまは、一日も早いを復旧を願うばかりです。
でも、そう願うしかないことに、とても歯痒く、やり切れない気持ちでいっぱいになります。
きれいごとやお決まりの言葉を並べ立てようという気持ちは、一切ありません。この災害が起こる前から考えていた「阿蘇に何か返せないのか?」ということも含め、「サイクリストとして阿蘇になにかできるか」という考えが深まるばかりです
でもまだ、それがなになのか、まったく想像できていません。
このブログを通して、それがなになのかこれから考えていければと思っています。
このブログを通して、それがなになのかこれから考えていければと思っています。